西垣腰痛裁判京都地裁判決(1999年12月8日)

西垣裁判判決
平成九年行ウ第一五号 公務外認定処分取消請求事件

判 決

京都府宮津市字惣五二七-二
原  告       西 垣 志津嘉
右訴訟代理人弁護士 村 山   晃
同 佐 藤 克 昭
同 岩 橋 多 恵

京都市上京区下立売新町西入藪内町
被   告     地方公務員災害補償基金
京都府支部長 荒巻禎一
右訴訟代理人弁護士  置田文夫
同 後藤美穂

主 文

1 被告が原告に対し、地方公務員災害補償法に基づき、平成三年一二月五日付でした公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一 請求
主文と同旨

第二 事案の概要
一 本件は、養護学校の教諭である原告が背腰痛症を発症したのは、養護学校での校務に起因するとして公務上の災害であるとの認定請求をしたのに対し、被告が公務外とした処分の取り消しを求める事案である。

二 争いのない事実等
争いのない事実または証拠により認定できる事実は次の通りであり、(  )内は認定に用いた証拠等である。

1 (原告)
原告(昭和三一年一一月一五日生)は、昭和五四年四月京都府に教諭として採用され、京都府立丹波養護学校(以下「丹波養護学校」という。)に赴任し、昭和六三年三月まで同好に勤務した。その後、同年四月京都府立聾学校に異動し、平成三年四月からは京都府立聾学校舞鶴分校に勤務している。
2 (養護学校)

(1)養護学校は学校教育法一条で定める学校であり、知的障害者、肢体不自由者若しくは病弱者(身体虚弱者を含む。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授けることを目的とするものである(同法七一条)。

(2)学校教育法は昭和二二年四月一日から施行されたが、養護学校における就学義務に関する部分の施行期日は制令で定めるとされていた(同法九三条一項)。しかし、この施行期日は長い間定められず、昭和四八年一一月二〇日政令第三三九号により、昭和五四年四月一日から施行される運びとなった。

(3)文部省事務次官は昭和四八年一一月二〇日付けで、各都道府県教育委員会に宛てて、養護学校の設置義務を負う各都道府県は、昭和五四年四月一日からは、①その区域内において養護学校における就学義務を負うこととなる保護者の子女を就学させるのに必要な養護学校の小学部及び中学部を設置しておくべきこと、②養護学校における義務教育の円滑な実施を図るため、この教育の対象となる児童、生徒の実態を把握して、これに、基づき、養護学校整備のための年次計画を策定する等して計画的に設置することなどをないようとする通達を出した。

(4)これらを受けて、京都府においても、養護学校整備のための動きが活発となり、京都府障害児教育推進協議会は、昭和五〇年七月一九日付けで、「京都府における障害児教育推進に関する協議事項の中間報告」と題する提言を行った。

(5)丹波養護学校は、このような中で、知的障害、肢体不自由、重度重複障害の児童、生徒を対象とする養護学校として、昭和五三年三月に開校した(小学部、中学部、高等部が併設された。)。

(6)花の木学園は、昭和四三年に重症心身障害児施設である花明、木の花学園として開設され、昭和五四年に花の木学園と改称された。重症心身障害児施設は、重度の知的障害及び重度の肢体不自由が重複している児童を入所させて、これを保護するとともに、治療及び日常生活の指導をすることを目的とする施設である(児童福祉法四三条の四)。

(7)昭和五五年度からは、丹波養護学校に花ノ木学園の児童が登校するようになった。その人数は、昭和五五年度と昭和五六年度が各三名、昭和五七年度が一一名、昭和五八年度が二〇名、昭和五九年度が二一名であった。

〔甲一一、一四、一六、二九、証人高向美智子、同細川喜代子、同野村まゆみの各証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨〕

3 (背腰痛症の発症)
(1)原告は、昭和五六年ころから時々腰のだるさや痛みを感じるようになり、同年一〇月二〇日の定期健康診断において、時々痛みがある旨訴えたが、特に異常はないと診断された。
(2)しかし、原告は、昭和五七年七月の七夕音楽祭の際に、腰に激しい痛みを感じ、接骨院に通院するようになった。その後は夏休みのため右症状は治まっていたが、疲れると腰部にだるさや背腰部痛を感じ、同年一一月四日の健康診断で痛みを訴えたが、特に異常があるとは診断されなかった。
(3)原告は、その後も背腰部痛を感じて公立南丹病院で治療を受けるなどしていたが、府立盲・ろう養護学校教職員腰痛健康診断で、昭和五八年一〇月に筋々膜性腰痛症、昭和五九年六月に腰椎々間板症と診断された。
(4)原告は、昭和六〇年六月二四日の腰痛健康診断で、背腰痛症と診断され、同月二八日から同年七月二七日まで病気休暇となった。そして、夏休み明けの九月からは勤務に復帰したが、再発し、同年一〇月一四日上京病院で「背腰痛症」と診断され、昭和六一年三月三一日まで病気休暇となった。

(5)この間、原告は、昭和六〇年一二月ころ、生理痛が激しかったため、公立南丹病院婦人科に受診したところ、子宮内膜症の疑いと診断され、整理を停止する薬剤の投与を受けていたが、その間も腰痛は軽減することはなかった。
〔甲の七の2、3、乙三ないし五、原告本人、弁論の全趣旨〕

4(本件処分)
(1)原告は被告に対し、昭和六一年九月22日付けで、原告の背腰痛症は公務に起因するとして公務災害認定請求をした。
(2)これに対し、被告は平成三年一一月五日付けで右疾病を公務外と認定し(以下「本件処分」という。)、同月二四日これを原告に通知した。
5(審査請求等)
(1)原告は本件処分を不服として、平成四年二月一七日地方公務員災害補償基金京都府支部審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は平成七年一一月二五日これを棄却する決定をした。
(2)原告は平成八年一月二五日地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は平成九年一月八日付けこれを棄却する決定をし、同年二月八日原告に通知した。

三  争点
原告の背腰痛症の公務起因性

1 原告の主張
原告の背腰痛症が従事した公務に起因するものであることは、(1)原告は養護学校の教諭として障害児教育に従事するまでは健康であったこと、(2)障害児教育は背腰部に過度の負担を強いるもので、背腰痛症の原因となりうること、(3)原告にはこの公務以外に背腰痛症の原因となりうる要因が存在しなかったこと、(4)原告の症状は、従事する介助作業等の重さの推移と一致しており、公務から離れて療養すると背腰痛症が確実に軽快していったことから明らかである。

2 被告の主張
次のような理由から、原告の背腰痛症と公務との間に相当因果関係を認めることはできない。
(1)原告の従事した養護学校の教諭の公務の中には、児童、生徒を介助するため中腰、前かがみの姿勢等での動作を伴う作業もあったが、これらは養護学校の教諭の公務一般に共通するもので、ひとり原告が同僚職員に比して過重な業務に従事したというものではない。
(2)原告には夏季休暇等の休暇が与えられ、休養する期間があったこと、公務に際しては複数の教諭が協力して介助にあたっていたことからして、原告の従事した公務は、通常の範囲内である。
(3)原告の背腰痛症は、第四、第五腰椎の椎間腔の狭小化(第五腰椎の仙骨化)や子宮内膜症による可能性が高い。右疾病が公務に起因するとすれば、その原因となった公務から離れれば軽快するはずであるのに、原告の病気休暇は五ヶ月以上に及ぶうえ、右公務から離れた後も腰痛を発症していることから裏付けられる。
(4)原告は、当時、育児、家事の負担もあり、これらが背腰痛症の原因となり得たから、公務が相対的に有力な原因となったとはいえない。

第三 当裁判所の判断(公務起因性について)

一 原告の公務について
証拠(甲四、五、一一ないし一三、乙一、証人高向美智子、同池田芳子、同細川喜代子の各証言、原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和五四年四月から中学部を、昭和五六年四月からは高等部を、昭和六〇年四月から昭和六三年三月までは小学部をそれぞれ担任した。
2 原告が丹波養護学校に勤務していた昭和五四年度から昭和六〇年度までの間の勤務時間等の状況は次のとおりである。
(1) 平日の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時一五分であり、うち休息時間は午後四時一五分から午後四時三〇分まで、休憩時間は午後四時三〇分から午後五時一五分までとなっていた。
(2) 児童、生徒は、スクールバス等を利用して、午前九時に登校し、午後三時に下校していた。
(3) 昭和五四年度から昭和六〇年度までの間、原告の担当したクラス数、担当教職員数、児童生徒数、その年齢・体重・主な障害名と介助の状態は別紙1記載の通りである。
(4) 昭和六〇年度における京都府立の各養護学校の児童、生徒数と教諭一人当たりの児童、生徒数は別紙2記載の通りである。員配置(別紙 2)
(5) 原告の昭和六〇年度のある一日の公務の内容等は、概ね、別紙3記載のとおりである。
(6) また、昭和六〇年度の丹波養護学校における年中行事は、概ね、別紙記載のとおりである。
(7) 原告は、昭和五六年一月二四日から同年五月六日まで産前産後の休暇を、昭和六〇年六月二八日から同年七月二七日まで腰部捻挫により休暇を、同年一〇月一四日から昭和六一年三月三一日まで背腰痛症により休暇を取得した。
〔甲一一、乙一、証人高向美智子、同池田芳子、同細川喜代子の各証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨〕

3 原告が丹波養護学校において従事した公務(児童、生徒の介助)の具体的内容は、次のとおりである。
(1) バスの乗降の介助
児童、生徒を抱きかかえてバスの乗降を介助する作業であるが、児童、生徒の全体重を腕、腰で支えなければならないし、狭い車内のため、横向きとなったり中腰で腰をひねった姿勢で行う必要がある。また、児童、生徒を抱きかかえたまま、バスのステップを乗降するにはかなりの労力を要する。
(2) 排便の介助
排尿便の自立は障害児教育にとって、重要な課題であり、時間を決めてトイレに座らせる必要がある。排尿便の介助は、車椅子をトイレまで押していき、介助者の一人が脇の下から児童を抱きかかえ、もう一人が中腰の姿勢で児童、生徒の膝を抱えて便器に座らせて排尿便を促す作業である。児童、生徒の障害が重度でないときは、介護者が一人であることもあるが、その場合には、片手で児童、生徒を支えながら、片手で介助するため、かなりの労力を要する。また、おむつかえを要する児童、生徒もいる。
(3) 教室間の移動の介助
授業のために教室と教室の間を移動しなければならない場合がある。教室が二階にあるため、たとえば一階の体育館から移動する場合には、車椅子を押しながら中腰でスロープを上がらなければならず、介助者の腰には相当の負担がかかる作業であって、ときには二台の車椅子を同時に移動させることもあった。
(4) 食事の介助
介助者が、児童、生徒の車椅子の正面に向かい合って、横の盆から食べ物をスプーンですくい、児童、生徒の口に持っていって食べさせる作業である。なお、食事後には、歯磨き指導、排便介助、後片付けなどの作業がある。
(5) 着替え着脱の介助
児童、生徒によっては、小便を漏らす者もおり、着替えの介助をする必要があるが、これは中腰で抱え上げる作業である。特に着替え作業に協力しなかったり、その身体が拘縮している場合には、介助作業には、さらに労力が必要となる。また、靴の履き替えの際には、児童、生徒によってはこれを嫌がり抵抗するので、しゃがみこんで介助しなければならない。
(6) その他の学習
校外学習、プール指導、音楽、体育等の学習においても、中腰の姿勢で児童、生徒を抱きかかえたりする場面が多い。

4 前判示のとおり、丹波養護学校は、昭和五五年から花ノ木学園生を受け入れるようになった。花ノ木学園の児童、生徒は、その年令が高く、体重も重かったうえ、知的障害と肢体不自由の重症心身障害児であったため(別紙1の高等部の「年令」、「体重」、「主な障害」、「介助の状態」欄記載のとおり)、その介助に労力を要した。

5 原告は、昭和五六年四月から昭和六〇年三月までの間、高等部の重度重複グループ(知的障害、肢体不自由等の障害を合わせ持っている者のグループ)を担当した。
また、原告は、昭和六〇年四月から小学部の担当となったが、九名の児童のうち、重度の肢体不自由児で全面介助を要する者が三名、歩行器使用の肢体不自由児で半介助を要する者が一名いた。小学部においても、児童、生徒の介助による腰部への負担は続き、また、原告は経験年数が他の教諭より長かったことから班長となったため、他の教諭に率先して積極的に介助の仕事をしていた。
右認定の事実によれば、(1)原告は、昭和五四年四月以降、一日を通して、肩、腰、腕、背部等に物理的負荷の大きな重症心身障害児を抱きあげ、抱きおろす作業、(2)教室間の坂道を児童を乗せた車椅子を押して移動する作業、(3)片手で児童を支えながら、もう片方の手で指導に関わる作業、(4)前屈みや中腰になったり、片腕で児童、生徒を支える作業を多く行っていたこと、特に昭和五六年四月以降は、高等部の重度重複児童グループを担当し、肩、腰、腕、背部等への負担は過重なものであったことが認められる。

二 重症心身障害児施設等における介助作業と背腰痛症の発症について

1 埼玉県下の重症心身障害児の介護業務を伴う養護学校に勤務する教諭と介護助手を対象として、昭和五三年から昭和五八年までの間の介護業務の内容、実態を分析した結果、教育と福祉が合体した形の養護学校(丹波養護学校もこれにあたる。)では普通教育の場で働く教師に比べ、肢体不自由の介護業務が多く、予想以上に心身に対する負担がみられ、この負担により、腰部、頸肩腕部に痛みを伴う症状が関係職員の間に発生してきたと位置づける研究成果が昭和六一年一月ころに発表されている。
2 労働省労働基準局長は、昭和四五年七月一〇日付けで基発第五〇三号「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」の、昭和五〇年二月一二日付けで基発第七一号「重症心身障害児施設等における腰痛の予防について」の各通達を発していたが、その後の研究調査結果を踏まえ、平成六年九月六日付け基発第五四七号「職場における腰痛予防対策の推進について」の通達を発し(従来の通達を廃止)、腰痛の発生が比較的多い五つの作業のうちの一つとして、重症心身障害児施設等における介護作業をあげ、その上で、その対策を提言している。右提言は、重症心身障害児施設等で、入所児、入所者等の介護を行わせる場合には、姿勢の固定、中腰で行う作業や重心移動等の繰返し、重量の負荷等により、労働者に対して腰部に静的又は動的に過重な負荷が持続的に、又は反復して加わることがあり、これが腰痛の大きな原因となるので、(1)適宜小休止、休息をとり、同一姿勢を長時間続けないこと、(2)作業方法などに応じた作業標準を策定すること、(3)介護者の数は、施設の構造、勤務体制、入所児等の心身の状況等に応じた適正なものとするよう努めること、(4)適切な介護設備、機器などの導入を図るとともに、介護に関連した業務を行うために必要な施設、機器などについても適切なものを整備するなどして作業負担の軽減を図ることとしている。
3 また、養護学校職員の背腰痛症等について、地方公務員災害補償基金審査会が公務災害と  認定した事例も集積されている。
右認定の事実によれば、丹波養護学校のような重症心身障害児施設等における介護作業は、背腰痛症を発症させる危険のあるものであると認められる。

三 本件職場における教職員の背腰痛症の発症の状況について
証拠(甲五)並びに弁論の全趣旨によれば、昭和六〇年六月に丹波養護学校で実施された腰痛健康診断において、異常ありの者が六二人(五三%)、要治療の者が三人(二・六%)であったことが認められる。
右認定の事実によれば、本件職場は背腰痛症の発症する危険のある職場であると認められる。

四 原告の従前の健康状態について
証拠(甲七の1、2、原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五六年以前には背腰痛等の症状を訴えたことはなく、健康であったことが認められる。

五 業務起因性についての医師の意見について
証拠(甲三)によれば、上京病院の姫野医師は、昭和六一年二月三にち付けで、次のとおり診断している。
1 所見
腰椎部並びにその、両側筋群に緊張圧痛を認める。後頚部両肩脚上部にも筋硬を認める。腰椎レントゲン所見は分離その他異常所見を認めない。血液検査、貧血陰性、ロイマ性陰性
2 意見
原告の職歴並に腰痛症状の推移をみると、昭和五四年四月kら中等部を二年担当し、昭和五六年四月から高等部に変わった。肢体不自由の程度が強くなり、また年令も高く体重も大きくなった。一年三か月勤務した頃から背腰痛をきたし、接骨院で治療を受けた。昭和五八年七月から担任クラスが変わり業務がさらに過重となってきた。この頃から常に腰痛があり、しばしば接骨院に通院していたが、ついに昭和六〇年六月腰痛が強くなり約一ヶ月休養した。昭和六〇年八月職場復帰したが、再び症状悪化し、昭和六〇年一〇月から休業し現在療養中である。現在症状は相当軽快し、今後訓練施行後、昭和六一年四月から職場復帰の見込みである。以上の点から業務による負担(その作業内容から)によって背腰の症状が発生し、昭和六〇年七月の特殊健診によってB3の判定を受けながら勤務して症状増悪し、他にロイマ、貧血なども認められず、腰椎レントゲン所見も著変なきところから、右疾患は業務に起因するものと判断する。

六 任命権者の意見について
証拠(甲一、二、四、五)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 丹波養護学校長は、地方公務員災害補償基金京都府支部長宛に、「原告は、重い障害児のグループを担当する以前には腰痛等もなく、また、私生活における原因となるようなことも認められず、従って、長期にわたる児童、生徒の介助の中で背腰筋の疲労の蓄積による背腰痛症と考えられる。」との昭和六一年九月二四日付け所属長意見書を提出している。
2 また、京都府教育長は、同支部長宛に、「重度重複心身障害児の教育に長年たづさわる職員には、健常児担当職員に比して頚、腕、背、腰等の身体のあらゆる部分に負担がかかることは事実である。災害と傷病名との因果関係については、判断が困難であるため、貴職において判断を願いたい。」との昭和六二年一月七日付け任命権者意見書を提出している。

七 他の原因の影響について
1 被告は、原告は子宮内膜症に罹患していたために腰痛になった可能性が高いと主張する。しかし、原告は、前判示のとおり、昭和六〇年一二月、公立南丹病院で子宮内膜症の疑いで治療を受けたことがあるが、子宮内膜症の確定診断をするためには、開腹や腹腔鏡による検査をする必要があるところ、右のような検査はなされていないから、原告が子宮内膜症に罹患していたと断定するのは困難であること、子宮内膜症は月経痛に通常随伴するものであるのに、原告の場合、月経を一時停止したのに腰痛が消褪しなかったこと(甲二六から二八)、子宮内膜症様の症状の発現は昭和六〇年一二月ころであって、腰痛は前判示のとおりそれ以前に発症していることに照らせば、原告が子宮内膜症に罹患していたことを前提とする被告の主張はその前提を欠き、その所論は採用できない。
2 また、被告は、医師松本睦の意見書(乙一八)を根拠に、原告には第五腰椎の仙骨化が認められ、これが腰痛の原因となった可能性が高い旨主張する。しかし、右意見書は、「第五腰椎の仙骨化があるかもしれない。」「(第五腰椎の仙骨化が)直接の痛みの原因になりうるか不明である。腸骨との接触部位に異常な骨硬化などの所見が見られないため、直接の原因は断定できない。」としているのであって、これをもって原告に第五腰椎の仙骨化があり、これが腰痛の原因となった可能性が高いと認定することは困難というほかなく、被告の主張は理由がない。
3 さらに、被告は、原告の育児、家事が背腰痛症の原因となったと主張するが、この指摘は一般論の域を越えない主張というほかないうえ、これを裏付ける証拠もないから、採用することはできない。
4 以上のとおり、公務を除いて、原告の背腰痛症の確固たる原因を見いだすことは困難である。

八 公務起因性の判断
1 以上考察してきたとおり、(1)原告の従事してきた公務(重症心身障害児の介助)は腰部等に大きな負担をかけるものであったこと、(2)重症心身障害児施設等における介助作業が、背腰痛症を発症させる危険のあるものであったこと、(3)本件職場は、背腰痛症が発症する危険のある職場であったこと、(4)原告は、養護学校の教諭として公務に就くまでは健康であり、公務以外に腰痛の要因を見いだすことができないことの他に、姫野医師の所見及び任命権者の意見等を総合すると、原告の従事した公務と背腰痛症との発症との間に、相当因果関係を肯定するのが相当である。
2 この点、被告は、(1)丹波養護学校は他の府下の養護学校と比較しても教諭の人員配置は十分に行われていたこと、(2)丹波養護学校の他の教諭に比較して、原告だけが過重な業務に従事していたとはいえないこと、(3)原告には夏季休暇等の休暇が与えられ、休養する期間があったこと、(4)背腰痛症が、公務に起因するとすれば、その原因となった公務を離れれば軽快するはずであるのに、昭和六〇年一〇月からの五ヶ月余りにわたる休業は長すぎるし、丹波養護学校を離任した後も腰痛が緩解していないのは不自然であることを理由として、公務起因性を否定する。
3 しかし、(1)養護学校の生徒の中には、多様な障害を持つ児童、生徒がいるから、原告の公務の過重性を判断するのに、単純に他の養護学校との配置人員だけを比較することにそれほどの意味があるとは考えられないし、また、重度の精神薄弱、重度の肢体不自由が重複した児童のいる花ノ木学園の生徒を受け入れてきた丹波養護学校を他の府下の養護学校の配置人員で判断することは相当でないし、(2)養護学校教諭の介助作業が背腰痛症を発症させる危険があることは前判示のとおりであるから、丹波養護学校の他の教諭と比較しても意味がないし、(3)夏季休暇等の存在が公務起因性を認定する妨げになるということもできないし、(4)公務に起因する背腰痛症が短期間の休業で回復するとの医学上の知見を認めるには足りないうえ(長期にわたり腰部に対する過重な負担が加わった場合には、難治化し、その治療期間が長期化する場合があることは、地方公務員災害補償基金滋賀県支部審査会も認めている。甲二一)、具体的な事情を検討することなく、抽象的に回復期間等から公務起因性を否定することは相当ではないから、これらの事情もよって右に説示した評価を覆すには足りないというべきである。

九 結論
以上のとおり、原告の背腰痛症を公務外の災害であるとした本件処分は違法であって、その取り消しを求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

本件口頭弁論終結の日  平成一一年九月二二日

京都地方裁判所第三民事部

裁判長裁判官   大谷正治
裁判官      山本和人
裁判官      平井三貴子

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